Tag: ジェニン
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The photo exhibition & talk event
I have had an event which is ART AND RESISTANCE THE DAYS I SPENT IN JENIN CAMP.Over 40 people came enjoy and got interested in Jenin. What I talked are only the days I spent in Jenin camp, that’s it. I know almost people in Japan had never hear “Jenin, Jenin camp” . On 3rd…
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ラマッラーからジェニンへ、入植者遭遇する
最初に言っておくと、私はジャーナリストではない。 これはただの日記であり私の個人的な体験を記したものである。 同じものがnoteにも書いてある。 https://note.com/threejp/n/naf27a40f66a7 大規模攻撃の翌日、6月20日にラマッラでの文化イベントへ参加するためにジェニンキャンプからラマッラへ車で向かった。 シアターのマネージャーの車でいつも通りに行けば大体1時間半くらいと予測するが20時からのイベントのために16時頃出発した。 車運転できるよね? うん、できるよ。 もし、途中で逮捕されたら君が運転してラマッラ行きは諦めてジェニンへ戻って。いいね。あと、途中で入植地前通るじゃない、今日はもしかしたらエクストリームな入植者が石を投げつけたりする可能性あるから。 その時はまだ半分くらいの本気度だった、私にとっては。 道中たくさんのソルジャーに出会う。普段の倍以上の人数、倍以上の箇所である。 ポップアップの検問所も多数ある。全く車は進まない。どうしよう。 私たちは山越えの普段は通らない道を選んだ。というかそれしかなかった。 別の車両で来ている仲間はヨルダン渓谷の方を通ってラマッラまで来た。 48(イスラエル側)から来た友人もいくつかの道路が封鎖されていて3時間以上かかっていた。彼女は一人で運転してきていたからなかなか到着しないのを心配していた。本番が始まる直前に到着して私たちはハグをした。前日の大規模攻撃と当日の道路封鎖、緊張しかなかった。ハグして今生きていることに感謝しあった。 アメリカ人ダンサーはまさか私たちがジェニンからラマッラに来るとは思ってなかった。あれだけの大規模攻撃を受けた翌日にまさか!と。 開演前のアナウンスでここにジェニンキャンプからフリーダムシアターの仲間たちが来てくれています。と拍手をもらった。ここにいる全員が前日の大規模攻撃を知っているし、ここまで来るのにどれだけ遠いか(実際の距離ではない)知っているから。 私たちは大歓迎を受けショーを楽しんだ。 個人的には嬉しい再会もあった。去年、ジェニンで共に時間を過ごしたノルウェー人の女性とこの場で再会。なんという偶然。彼女も驚いていた。 え?まさか!かなり久しぶりじゃない?ジェニンから? そうよ、みんなで今日ジェニンから。 去年、8月だったよね?会ったの。ずっとあれから?住んでるの? まさか!ビザないし。今年は5月の半ばから来てて7月には帰国するの。 私は今回一週間でジェニンには行けないけど、またジェニンで絶対再会しよう! 短い再会を楽しんだ。狭いパレスチナの狭いアート界隈の狭い人間関係。だけど熱い関係でもある。 私とマネージャーとディレクターで帰りを急いだ。 ナブルス界隈で入植者が暴れているらしいという情報があるからだ。 また3時間は覚悟しなきゃだよね。 時刻は午後10時 行きよりも多いソルジャーズ。行きたい道が塞がれている。 この道は封鎖だ、あの道を行け!と指示される。 道を進むと燃え盛る街が見える。まさか。 道に立つ入植者。大きな石を投げつけてくる。 同乗者のディレクターが窓を少し開けて叫ぶ ロ!ロー!(ヘブライ語のNO) 関係なしにどんどん投げつけられる。車中は鈍い音が響く。私は頭を下げて丸くなって身を守る姿勢を取る。 マネージャーはスピードを上げる。早くここを逃げ去らないと。 また火が立ち昇る場所へ出る。ソルジャーズ、入植者たち、車のパレスチナ人たちがいる。車はフロントもバックもガラスが割れて悲惨な状態の車もあった。私たちの車は傷やへこみができたとはいえまだいい方だ。 入植者は大きな銃を抱えている。いつ私たちを撃ち殺してもいい状態だ。ソルジャーズは一応、彼らを制止する。 この道は封鎖だ、来た道を戻れ! ソルジャーズはそう叫ぶ。 向こうの道のソルジャーズにこっちの道に行けって言われてこっちに来たら、途中で入植者に襲われたんだぞ、どうやって行けって言うんだよ! いつもは私たちを攻撃してくるタンク車を先頭に何台ものパレスチナナンバーの車が連なって元の道へ戻る。私たちを襲った入植者がいない、またはタンク車によって私たちを襲わないことを祈る。 元の道に戻るとまた別のソルジャーが私たちは焼き討ちにあっている村から来たと勘違いし威嚇してくる。 私たちはラマッラから来たんだ。北へ行くにはどの道を行けばいいんだ。 私たちはゆっくりと車を進めて、停車した。 ディレクターが車から降りる。まじか。死なないで。撃たないで。私の大好きな友達、大切な人。本当にお願いだから。 私は窓から正視するするしかなかった。 僕らは家に帰りたいだけなんだ。 丸腰でゆっくりとソルジャーに向かう。 正解が何かわからない。だけど、帰るにはいつもとは全く違うジェリコ(死海の近く)を通って帰るしかない。だけどジェリコもどうなるかわからない。急ごう。この時点で11時半。 ラマッラからナブルス方面に向かっていたにも関わらず、エルサレムの方からジェリコを目指す。 幾つかのポップアップチェックポイントやソルジャーズを潜り抜けジェリコへ。少し湿度があって気温も高い。 ジェリコだねー。なんとなく静かで大丈夫な感じがあった。 私たちは少しだけほっとした。狂信的な入植者に遭遇する可能性はグッと減ったからだ。…
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ジェニン難民キャンプでの出来事
最初に言っておくと、私はジャーナリストではない。 これはただの日記であり私の個人的な体験を記したものである。 同じものがnoteにも3回に分けて書いてある。 6月17日早朝 警報の音で目が覚める。4時台後半 銃撃も聞こえる。ここまではいつも通りである。 急に声が聞こえる。アラビア語ではない。ヘブライ語。でも何て言っているのか私にはわからない。 わからない言葉ってなんて恐ろしく感じるものなんだろうか? トランシーバーか何かから聞こえる声。 思わずこちらも声を潜める、というかベッドに潜り込む。 銃声と爆撃音の聞こえる中で過ごす時間はとても過ぎるのが遅い。 電線が切れないといいけど。いつも思っていることだけど、今回はやはり停電。WiFiがつながらないのでネットで情報が拾えない。誰とも連絡がつかない。数日前から電波妨害があったのでプリペイドSIMのトップアップもできていないのが不安を増幅させる。 たまに偶然4Gを拾うがメッセージやりとりできるほどではない。 どうなるんだろう。 何か忙しい空気が漂う。 ベッドで丸くなる私。 真っ暗な部屋のカーテンの隙間からサーチライトの光が一直線入り込む。 まさか。 イスラエル兵がうちの階段を上っている。 寝る前に、絶対何があっても外に出るな!と言われていて本当だったら玄関のそとにカメラをセットしているところだけどなんとなくしなかったんだ。 銃声が聞こえる。 足音が増える、響く。強くなる。 誰か連れて行かれた?撃たれた? 人の気配がするがこちらは身動きが取れない。 銃声、声、足音、爆発音、そして鶏の鳴き声がしばらく響く。 急に静かになった気がする。鳥のさえずり、鶏の鳴き声は相変わらずだ。 9時過ぎには電気が復旧、ネットが戻り日常が戻る。 そんな日でも10時前にはサマーキャンプにキッズがやってくる。フォトグラファーとして働いているが、キッズはすぐにハグをしてくる。日常の恐怖から安心感を求めているのかもしれない。 2023年6月19日朝4時頃に目が覚めた。 銃声と爆発音、そして似つかわしくない鳥のさえずりやコケコッコーの鶏の声がしていた。 6時くらいだったか、程なくして停電した。ネットが繋がらない。 2時間程度で攻撃は収まってその1時間後には電気も復旧するだろうと思っていた。 3時間経っても銃声も爆発音も収まらない。 空からはドローンやヘリコプター、アパッチ攻撃だ。 いつものドローンやヘリコプターの低空飛行とは音が全然違う。それでわかった。ただ事じゃない。いつもとは違う。これは絶対に外に出てはいけない。 誰とも連絡が取れない。だけど前の日に言われた。もし何か起きたら、始まったら絶対に外に出るな、窓際にも立ってはいけない。 玄関にカメラを設置しドアを閉めた。 家の裏からも銃声、爆発音がする。そして救急車も。 キャンプの中腹で事態は起きていると思っていたけど、包囲されている? 隣の家の玄関の開く音がする。今は玄関を開けてもいいんだ、私も玄関を開けた。 大きな爆発音と共に爆風を感じた。初めての経験だった。とっさに私たちは身を縮めた。 隣のマダムが早く家の中に入って!と叫ぶ。 爆発音、銃声は響き続ける。 不謹慎かもしれないけど、その銃声はバーン、バーンという感じではなく、和太鼓を早いビートで叩き続けているような音だった。 タタタタタタタタタタタタタタタタタタ こっちの方が表現としては近い。 前日の夜に朝ごはんにフレッシュなフムスを食べたいから何も買わないぞ!と思って家には少しのスナックしかなかった。幸いお水だけはストックがあった。 気がついたらお昼13 時を過ぎていた。 その間、銃声と爆発音が鳴り続けていた。 そんなに近づいていないのに私のTシャツは真っ黒だった。 停電するまでは100%の充電ができていたラップトップ、スマートフォン、カメラ類。停電しても記録し続けカメラのバッテリーが枯渇してきた。替えのバッテリーを使う。 スマートフォンもたまに4Gを拾うが、それは常に電波を探しているということなのでいつも以上に電池の減りが早い。 電源を落とすか、どうするか迷うももし4Gを受信した時に重要なメッセージ(早くどこどこへ逃げろとか)受け取ったらと思うと電源を落とすことはできなかった。 ラップトップを予備電池をすることにした。…