Category: diary
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Another KYOTOGRAPHIE
noteからの転載です。多くの人に読んでほしいです。 日本最大の国際写真展であるKyotoGraphie に行ってきた。今回のテーマ「HUMANITY」 今誰もが知っていること、パレスチナでの虐殺、民族浄化。毎日シャワーのように浴びせられる死の知らせ、人類史上「最悪」を更新し続けているのは疑いようもない。これについてNOを突きつけることが今の最大のHUMANITYではなかろうか? 日本最大の国際写真展でテーマがHUMANITYであるにも関わらず、パレスチナ系アメリカ人のフォトグラファーでさえ、ジェノサイドに触れることのない美しい展示だった。観たのはそれは生きたまま焼かれた赤ちゃんがいるとニュースになっていた日だった。 もしかしたらこの国際写真展は日本における言論の自由の限界を見せしめるためだったのかも、とさえ思えた。人類史上最悪の時にあっても私たちの自由と尊厳を守ると直接的発言ができないHUMANITY展であった。 反対に無名の私はどこにHUMANITYがあるのか?とアンチテーゼの写真展を開催し、検閲の目をくらませることができたのか、睨まれたのか、気づかれなかったのか、それとも無名なやつには何も力がないと無視されたのかもしれないが、フリーパレスチナの声を共に生きるニンゲンとして伝えた。みんなもあらゆる角度からフリーパレスチナを叫んでほしい。実際に声を出して叫ばなくてもデモに行かなくてもあなたのできる方法でフリーパレスチナをアピールし世論を作り政治を動かすことはできます、あなたがいなければ政治を動かすことはできません。あなた一人の力はとても大きいことを忘れないで! 私がWhere is HUMANIT?展で話した時のメモを公開します。メモなので一語一句同じセリフを話したわけではないのですが、内容的には同じです。 映画解説 (私のショートドキュメンタリーを上映しました) この映画は2023年に撮影した素材をもとに編集しています。戦闘機の音も爆発の音も全て私が滞在していた時のものです。 色んなところでもう何度も聞かれたと思いますが、今一度伝えたいことの1つは2023年10月7日をスタート地点のように報道されることも多いですが、それ以前からずっと攻撃を受けていました、ということです。この作品が面白いか面白くないは別として、10月7日以前の証拠であるということです。舞台はジェニン難民キャンプです。ジェニンの場所は西岸地区の北部でナザレとか近い場所です。近くには世界で3番目に古い教会もあります。スイカの産地でもあります。大きなスイカのモニュメントがシティにありましたけどそのモニュメントすら破壊されて連れ去られました。 ここに住む人たちはハイファやナザレなどから逃げてきた人たちの難民キャンプです。今は4世代目がいます。1キロ四方の小さな、坂道の多い場所です。2002年第二次インティファーダーの頃にもジェニンの虐殺があり、建物は破壊されこの映像の建物は20数年のものも多いです。子どもたちは殉教者たちが眠る墓地で遊び、彼らがなぜ若くして死んでしまったのか子どもたちは理解しています。彼らにとって死はとても身近です。墓地のところでアルジャジーラの有名な記者 でシリーン・アブ・アクレさんがスナイパーに撃たれて亡くなったんですけど、もちろん私もそのこと を知ってて現場に行きました。そしたら子どもたちが近づいてきて、私に何が起きたか説明してくれるんです。とても大人です。必要以上に大人なんです。一方でそれと反して私を見つけると名前を呼んで駆け寄ってきたり、私の名前をコールをしたりしてケラケラ笑って本当に子どもらしい面もたくさん持っています。しかし銃声の中に育つことは異常です。 展示の写真 額装された写真はジェニン難民キャンプです。1キロ四方の小さなキャンプに命がひしめいています。10月7日以前の美しい日々の営み、みたいな文脈で語られたりしますが、10月7日以前も軍事占領下で攻撃を受け厳しい暮らしをしていました。パレスチナ人みんなです。難民キャンプはもちろんですが、西岸地区、ガザ地区、48、国外のパレスチナ難民。今京都グラフィーでアダムルハナの展示があっていて美しい写真ですが、色んな人の感想で「以前の美しい暮らし」、とSNSでポストしてるのを見かけますが、そうですけど違います。今までだって本当に厳しい暮らしでした。厳しい中でどうサバイブしていくのか、苦悩して、そうやって暮らしてきたんです。パレスチナを旅するとみんな優しいし、笑っているし、でも腹の中は違います。みんな今日を明日をどうやって生き抜くか悩んでいました。子どもをどうやって食わしていくの、教育を与えられるのか、そういうことを考えて日々ギリギリの中生きています。今はそれ以上です。それでも違う世界があることを子どもたちに知らせたい、これが当たり前じゃないということでアートのサマーキャンプが開催されたり、その中でストレスを発散させたり、恐怖や悲しみを表現することで心を守る取り組みをしていたのがこの展示している写真です。 今のジェニンキャンプ 今は包囲されて誰もいない空っぽの状態です。 3ヶ月以上正式な軍事作戦によってジェニンキャンプは包囲されています。西岸地区のガザ化と言われる第一歩です。正式な軍事作戦にもっと前から激しい攻撃を受けていました。イスラエル軍から正式に退避命令が出たため多くの人は家から出ています。どこに行くのか・・・親戚が受け入れてくれる人はそこに、モスクで寝泊りしている人もいれば、大学が避難所のようになっているところもあります。近くの小さな村とか避難しています。もちろん仕事を失った人もいます。家に荷物を取りに行った人が亡くなったり、多くの家は破壊されています。ジェニンキャンプだけでなくトルカレムの難民キャンプとか多くのキャンプが同じように破壊され住人は追い出されています。今、 最悪の自体が起きていると思っている人も多いと思いますが、ここに住む人たちは今が最悪とは思っておらず、残念ながら実際そうだと思いますが、これから本当の最悪の事態がやってくると思っています。西岸地区のガザ化。ジェニンや他の地区の人もガザの状況を見て、自分たちの今後なる姿だと思っています。 映画のメインキャラクターだったガザルはヤコブのお姉ちゃんですが、彼女のお父さんは去年、殺人ドローンによって殺害されました。 ここにいる多くの方はご存知だと思いますが、私たちの支払う年金が彼女のお父さんを殺しているのです。年金基金からイスラエルの武器へ投資されているからです。私たちの税金から思いやり予算+αとしてアメリカの軍事費さえも支払っています。私たちは加害の当事者です、年金や税金を支払わずに生活することは難しいので私たち市民はパレスチナのために声をあげ政治を動かす必要があります。これはパレスチナの人たちだけのためではなく、私たち自身を戦争犯罪者になることから守るためでもありますし、彼らの権利を踏みにじることを認めるということは自分たちの自由や権利を手放すことにつながると思っています。私自身の自由を守るためにもパレスチナの人たちに連帯し、声をあげ行動し続けることがとても大事です。私の話が完全な正しい答えではないですがみんなが考えてできる行動を続けてほしいと思っています。 インフルエンサーというかパレスチナ支援している有名な人とかで最近西岸地区に入っていた人の中で間違った内容を発信している人がいました。この人たちを弾糾したいわけじゃないので、特定するような詮索はやめてほしいのですが、この人たちも今のパレスチナのことを知らない中で行って感情的にそう発信しただけなのかもしれないので。ただ、私の知っている限り間違っている情報なのでもし今後そういった情報を見かけたときのためにパレスチナの生活について少し共有したいです。 10月7日のこと イスラエル民間人344人の犠牲のことです。レイブ会場に到着したイスラエルの戦闘ヘリコプター(アパッチヘリ28機)は、その日1日で数百発の爆発砲弾とミサイルを含む、彼らが持っていたすべての(合計数万発と言われる)弾薬を発射したことがわかっていますし、ハンニバル作戦があるので自国民を多数殺害したことはアルジャジーラでも検証されていますし、ハアレツでも報道されています。当日はそのすぐ後に報道した(ハマスのやったことはひどいとか、レイプがあったとか)西側のジャーナリストもあとから嘘だったことを告白しています。ですので、ハマス(各政党のガザの人たち)を貶め、惨劇の場所をグランドゼロとかいう言い方はやめて欲しいですし、シオニストのプロパガンダを広めるのはとても危険です、このやり方はシオニスト左派と言ってもいいと思います。もしそういうことを見かけたり、疑問に思うようなポストなど見かけたら私の話を鵜呑みにしなくてもいいので、それでも一歩引いて情報整理して考えてみて欲しいと思っています。 パレスチナでの移動方法のこと これは前からバス、セルビスでした。そしてチェックポイントや分離壁、アパルトヘイトの壁があります。そして入植地もあります。入植地ができるとその周辺とか大 きな道路が入植者専用になったり、ポップアップのチェックポイントが増えたり、最近はアウトポストも増えました。アウトポストは言うなれば準入植地みたいなもので、公式にはイスラエル 政府は認めていない、違法だと言っていますが、電気も引かれていて、水道も引かれています。捕まりもしません。 入植地の近くのパレスチナ人の村とか火をつけられたり、農地も荒らされたり、銃を持って侵入されたり、暴力もあったり、それを武装した入植者がやってて、武装したIDFが守っています。入植者一人につき 一人の兵士がいます。 西岸地区で移動する時のセルビスはバンみたいな車で六人とかお客さんが来て満員になってから出発します。用事があって10時に出てほしいけど、人が集まらなくて11時に出発することになった、とか当たり前のことです。もしどうしても10時に自分だけしかいなくて、それでも出発してほしい時は六人だったら六人分の料金を支払うことになります。それは外国人だからぼられたとかそういうのではなく、普通のことです。まあ、六人分かそれ以上かは言い値ですけど。 そして昔だったら20分で行けたことが今は2時間以上とかかかったりします。今まで使えていた幹線道路が使えなくなって、回り道をしたり、ドライバーさんはテレグラムなどを使ってどのコースで行けば安全か逐一チェックをしています。毎回同じコースで行くかどうかはわかりません。行ったけど、急遽戻って違う道に行くなんてこともあります。2023年もそうでした。遠回りしたり戻って違う道に行ったりするのでその分ガソリン代もかかります。移動費は高いです。当然です。トランプ大統領が就任して入植者の暴力が合法となり、移動がより難しくなったことは簡単に想像できます。それがパレスチナ人の移動の日常です。これはバスだけでなく、自家用車であってもそうで す。 ヒューマニティーとは 人間としての本質や人間性を指す概念です「見過ごすことがヒューマニティに反する」何かしたい、しなければ、とココに集まった方々もそんな気持ちが湧き出ていると思います。 特別な優しさとか思いやりとかそう言った物じゃないと思うんです。人として当たり前に備わっている感覚。77年前はデイルヤシーンの虐殺やナクバの時の多くの場所での虐殺は後から知った人も多いでしょう。当時の通信手段や報道の時間のラグもあったでしょうし、日本も敗戦して数年でした。2025年の今、ライブストリーミングで虐殺が行われています。これを見て何も感じない人ははっきり言って病院行ったほうがいいじゃないって思いますけど、5万人も殺害されて、生まれたての赤ちゃんも撃たれたり爆撃されたり、また餓死するように仕向けられたりして、それが生中継されています。私たちに「知らなかった」という言い訳はできません。この状況で何かしたいというか、しなきゃと勝手に溢れてくることが当然なんじゃないかなと思うんですよね。歴史を知らないとか、距離が遠いとか、行ったことない、とか関係なく人としての義務というか。 私たちにできることはなんでしょうか?たくさんあります。声を上げることは政治を動かすことにつながります。世論を作っていきましょう。 今、福岡でパレスチナ解放のアート展を開催しています。知り合いのアーティストに声をかけて始めることができました。最初は断られるかもしれないと思っていました。年度末でしたし。こういう機会を待ってた、というアーティストもいました。何がしたいけど、何ができるのか?考えていたけどわからなかった、そういう人が確実にいるのです。デモにどうしても日程や家庭や仕事の事情で参加できない人もいます。あらゆる方向からパレスチナ解放を叫ぶことで多くの連帯したい人たちの行動につなげることができます。これは難しい問題だから長くかかる、すぐには解決しないと最初から諦めないでください。もう77年長い期間かけてきました。十分です。今すぐに解決する、解放させる、政治を動かす、もう今すぐにです。そんな気持ちでみんなもいて欲しい。現地の人たちは本当に疲れています。日本の私たちが先に疲れることはできません。ヨーロッパもアメリカも言論の自由はありません。今の ところ日本はまだフリーパレスチナを叫んでも逮捕もされないです。 私たちの沈黙が彼らから土地を奪うことを、命を奪うことをサポートしてしまいます、望まなくても。やはり望まないのであれば声を上げるしかないです。 福岡のこと 福岡市中央区六本松にパレスチナハウスがあります。今年2月にオープンしたのですが、もし福岡にお越しの際は金土日の週末しか開いていませんが、ぜひ遊びにいらしてください。パレスチナの歴史や文化など知ることができるコミュニティースペースになっています。運営は福岡パレスチナの会がやっています。40年パレスチナの人たちやパレスチナ国内外のパレスチナ難民をサポートし続けています。せっかく福岡に行くからイベントしたい、とかポップアップで何かしたいとかあれば調整しますのでお気軽にご連絡ください。 他にも、今パレスチナで起きている細かい話などもしました。刑務所に入れられている少年の親に悪戯?なのか、迎えに来いという連絡があっておご馳走を用意して朝からタクシーで迎えに行ったのに、何時間も待たせて、自分の子じゃないとか、そういったことが頻繁に置いているらしいです。質疑応答などもあり2時間近く映像上映(15分)とトークで使いました。 1月に医療チームとしてガザに入域していたダイアナさんも来場されスピーチをしてくれました。広島からレベッカ、名古屋からたけしくんも来てくれて京都のみんなに紹介することができました。会場のVIVA LA MUSICA! 植松さん、ふみさん、ライブをしてくれたふゆこ、大前さん、DJをしてくれたケントさん、うえっちさん、そしてご来場の皆さま本当にありがとうございました! 最後に 人には尊厳と自由が必要です。それは権利です。誰もが持っているはずのものです。パレスチナの人たちにもそれが必要です、当たり前です。虐殺を止め、占領を終わらせ、私にもあなたにも尊厳と自由のある日々を!彼らの尊厳を踏みにじることは自分の自由を手放すことになる。絶対に今ある自由を手放さないで! フリーパレスチナ
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I throw a stone
I throw a stone to the world.Long time, for decades years the people have thrown stones to the strongest military, the latest military weapons as resistance. Then we have lost many innocent people. I captured the light of Jenin where I spent for long time, on a stone, and I’d like to throw a stone …
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Lecture at the University
I will have a lecture about Gaza war.Basic information, Palestine,Israel both now and before. ALL OF YOU ARE INVITEDDAY TIME : 14th November 2023 3:30pm PLACE: Kyushu Sangyo University Open Innovation Center 11月14日は九州産業大学のオープンイノベーションセンターでパレスチナについてお話しします。 パレスチナとイスラエルのベーシックなことから現地での暮らしや今ガザにいる友人たちから届いた状況説明やメッセージなど同じ時代を生きるものとして知る伝える責任を果たしたいと思っています。その先には停戦、人道支援のために私たちができることなど話たり話し合ったりしたいと思っています。 学生さんも学生さんじゃない方もぜひお越しください。 【日時】 11月14日 15時30分〜 【場所】 九州産業大学オープンイノベーションセンター
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Stop the Genocide Now!!
At the first time I visited Israel and Palestine, I felt it was not only their issue, it must have been our, human issue. Then I’ve decided I would commit this issue as a traveler.I travel there 12 times. The situation is getting worse as you know. especially this year 2023 from the beginning many…
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The exhibition at Tetragraph
Started the exhibition.I don’t like kind of snap photo but I don’t know why this time I show many snap photos. Theme is Travel and Life. For me it means meeting the people.Usually I am not good at communicating with others. However someone who has different mother tong tries to understand me and I try…
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Screening of Ahmed Tobasi interview
On 1st October we will screen the interview of Ahmed Tobasi artistic director of The Freedom Theatre, Actor and Educator. ART FAIR EARTH®️ 20231st October 6pmat artspace tetra I’m very excited Ahmed Tobasi will participate in this event. It is first time for him to do the event in Japan.I know him well. He is…
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Visiting Seoul Korea
Suddenly I’ve felt like visiting Seoul. Checked the price of air ticket, found super cheap ticket. 10 years a go, I was in London. I met a guy who was from Korea. Sicne then I had never seen him. But I have never forgotten him, It’s a kind of respect, a kind of love, mm…
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I am in Media
I am in T-shirts everyday not only in summer but in all seasons. Sometimes I wear T-shirts I printed my art work, sometimes I wear T-shirts someone gave me.Any T-shirts has own messages. One day.When I was walking to the gallery, a guy spoke to me. “Hey your T-shirts is so cool!!” ” oh,…
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The photo exhibition & talk event
I have had an event which is ART AND RESISTANCE THE DAYS I SPENT IN JENIN CAMP.Over 40 people came enjoy and got interested in Jenin. What I talked are only the days I spent in Jenin camp, that’s it. I know almost people in Japan had never hear “Jenin, Jenin camp” . On 3rd…
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ラマッラーからジェニンへ、入植者遭遇する
最初に言っておくと、私はジャーナリストではない。 これはただの日記であり私の個人的な体験を記したものである。 同じものがnoteにも書いてある。 https://note.com/threejp/n/naf27a40f66a7 大規模攻撃の翌日、6月20日にラマッラでの文化イベントへ参加するためにジェニンキャンプからラマッラへ車で向かった。 シアターのマネージャーの車でいつも通りに行けば大体1時間半くらいと予測するが20時からのイベントのために16時頃出発した。 車運転できるよね? うん、できるよ。 もし、途中で逮捕されたら君が運転してラマッラ行きは諦めてジェニンへ戻って。いいね。あと、途中で入植地前通るじゃない、今日はもしかしたらエクストリームな入植者が石を投げつけたりする可能性あるから。 その時はまだ半分くらいの本気度だった、私にとっては。 道中たくさんのソルジャーに出会う。普段の倍以上の人数、倍以上の箇所である。 ポップアップの検問所も多数ある。全く車は進まない。どうしよう。 私たちは山越えの普段は通らない道を選んだ。というかそれしかなかった。 別の車両で来ている仲間はヨルダン渓谷の方を通ってラマッラまで来た。 48(イスラエル側)から来た友人もいくつかの道路が封鎖されていて3時間以上かかっていた。彼女は一人で運転してきていたからなかなか到着しないのを心配していた。本番が始まる直前に到着して私たちはハグをした。前日の大規模攻撃と当日の道路封鎖、緊張しかなかった。ハグして今生きていることに感謝しあった。 アメリカ人ダンサーはまさか私たちがジェニンからラマッラに来るとは思ってなかった。あれだけの大規模攻撃を受けた翌日にまさか!と。 開演前のアナウンスでここにジェニンキャンプからフリーダムシアターの仲間たちが来てくれています。と拍手をもらった。ここにいる全員が前日の大規模攻撃を知っているし、ここまで来るのにどれだけ遠いか(実際の距離ではない)知っているから。 私たちは大歓迎を受けショーを楽しんだ。 個人的には嬉しい再会もあった。去年、ジェニンで共に時間を過ごしたノルウェー人の女性とこの場で再会。なんという偶然。彼女も驚いていた。 え?まさか!かなり久しぶりじゃない?ジェニンから? そうよ、みんなで今日ジェニンから。 去年、8月だったよね?会ったの。ずっとあれから?住んでるの? まさか!ビザないし。今年は5月の半ばから来てて7月には帰国するの。 私は今回一週間でジェニンには行けないけど、またジェニンで絶対再会しよう! 短い再会を楽しんだ。狭いパレスチナの狭いアート界隈の狭い人間関係。だけど熱い関係でもある。 私とマネージャーとディレクターで帰りを急いだ。 ナブルス界隈で入植者が暴れているらしいという情報があるからだ。 また3時間は覚悟しなきゃだよね。 時刻は午後10時 行きよりも多いソルジャーズ。行きたい道が塞がれている。 この道は封鎖だ、あの道を行け!と指示される。 道を進むと燃え盛る街が見える。まさか。 道に立つ入植者。大きな石を投げつけてくる。 同乗者のディレクターが窓を少し開けて叫ぶ ロ!ロー!(ヘブライ語のNO) 関係なしにどんどん投げつけられる。車中は鈍い音が響く。私は頭を下げて丸くなって身を守る姿勢を取る。 マネージャーはスピードを上げる。早くここを逃げ去らないと。 また火が立ち昇る場所へ出る。ソルジャーズ、入植者たち、車のパレスチナ人たちがいる。車はフロントもバックもガラスが割れて悲惨な状態の車もあった。私たちの車は傷やへこみができたとはいえまだいい方だ。 入植者は大きな銃を抱えている。いつ私たちを撃ち殺してもいい状態だ。ソルジャーズは一応、彼らを制止する。 この道は封鎖だ、来た道を戻れ! ソルジャーズはそう叫ぶ。 向こうの道のソルジャーズにこっちの道に行けって言われてこっちに来たら、途中で入植者に襲われたんだぞ、どうやって行けって言うんだよ! いつもは私たちを攻撃してくるタンク車を先頭に何台ものパレスチナナンバーの車が連なって元の道へ戻る。私たちを襲った入植者がいない、またはタンク車によって私たちを襲わないことを祈る。 元の道に戻るとまた別のソルジャーが私たちは焼き討ちにあっている村から来たと勘違いし威嚇してくる。 私たちはラマッラから来たんだ。北へ行くにはどの道を行けばいいんだ。 私たちはゆっくりと車を進めて、停車した。 ディレクターが車から降りる。まじか。死なないで。撃たないで。私の大好きな友達、大切な人。本当にお願いだから。 私は窓から正視するするしかなかった。 僕らは家に帰りたいだけなんだ。 丸腰でゆっくりとソルジャーに向かう。 正解が何かわからない。だけど、帰るにはいつもとは全く違うジェリコ(死海の近く)を通って帰るしかない。だけどジェリコもどうなるかわからない。急ごう。この時点で11時半。 ラマッラからナブルス方面に向かっていたにも関わらず、エルサレムの方からジェリコを目指す。 幾つかのポップアップチェックポイントやソルジャーズを潜り抜けジェリコへ。少し湿度があって気温も高い。 ジェリコだねー。なんとなく静かで大丈夫な感じがあった。 私たちは少しだけほっとした。狂信的な入植者に遭遇する可能性はグッと減ったからだ。…